深い、深い。周りはすべて闇。
そんなところにそれは在った。いや、その場所が存在させられた、というべきか。
周りには闇しかない空間には一点の薄暗い光りが生じており、不自然に円卓が用意されていた。
なにやら紋様が描かれた円卓には2つの座席が向かい合うように配置されており、まだそこに座るべきものは到着していないようだった。
そこへフッとどこからともなく小振りのグラスが現れ、片方の席の前で琥珀色の液体に満たされた。 誰も居なかった座席は椅子が勝手に後ろにスっと引いたかと思うと、その椅子の上にひとりの魔女が音も無く腰を掛けた。 魔女は足を組み、目の前のグラスを手に取って口元へ傾けた。
魔女の向かいの座席は対照的にガタガタと音を立てながら椅子が移動し、ドスン、という音がしたかと思うと、縦長い帽子を冠ったン・モウが着席した。
「…10分の遅れだぞ、エゼル」
「そう言うなよ。俺は人気者なんでね。いつも追い掛けられているから時間通りには動けないのさ」
「追い掛けられるような事をしてる自分の責任だろう」
「そう言うなって、湿地の魔女。おまえだって今、さっき来たばかりじゃないか。ちゃんと見てたんだぜ?」
「そもそも、我々に時間の流れの感覚なぞ無に等しい。だが、遅刻するようないい加減な奴は好かん」
魔女がその爪の長い指でピンッと弾くと、エゼルと魔女の間に違いの顔が見える程度の光りのろうそくが設置された。
魔女の顔が見えると、エゼルは嬉々として椅子から乗り出した。
「それにしてもなんだ。お前が俺を呼び出すなんて珍しいじゃないか。いい獲物にでも出会ったか?」
「人を悪趣味扱いするんじゃないよ」
「だが、そうなんだろ?湿地の魔女のお目に適ったヤツはどこのどいつだ?」
「…………」
「当ててやるよ。ルッソってやつじゃねぇか?」
ガリークランのルッソがグリモアを通してイヴァリースにやってきている事はエゼルも知っており、顔も合わせた事もある。
エゼルは自分が気に入る相手は魔女も気に入る筈だという確信から告げた名前だったが、果たして?
「その子になら会ったよ。元の世界に帰る為とはいえ人の為に動ける、なかなかイキのいい子だったね」
「ガリークランに拾われる、とは運が良かったな」
「どうかね。お陰でカミュジャとも関わる羽目になったじゃないか」
「まぁ、あの分だと元の世界に戻れる日も近いと思うぜ。…おい、まさかあのルッソに」
湿地の魔女との契約。それが何を意味するものか、エゼルはよく分っていた。
まだこの先希望に溢れ、自力で道を切り開こうとしているルッソとの契約だったとしたら。
「いや、あの子じゃないよ。その必要も無いのはおまえも知っての通りだ」
「へぇ、じゃあ俺の知らない奴か?教えろよ。てか、教えたいから俺を呼んだんだろ?」
魔女は答える代わりに両手を円卓の上に置き、俯いてブツブツと何事か唱えだした。
手のひらから白い球状の光が浮かび上がり、その中にはギィの姿が映し出されていた。
「…なかなか色男だな。おまえの好みか?」
「それは私への嫉妬か?」
「冗談言うな。なかなか見どころありそうな奴だな。おまえが手を貸したのも分かるぜ」
「その男が美しいのは見た目じゃない。その高潔なる魂さ」
「自分の命を掛けても変えたいものがある、なんて奴だからな。その魂が欲しかったのか?」
「…始めはね」
目の前の彼女が言い淀むのは珍しい。エゼルはギィに興味を持ち、にやりとした。
「じゃあ、どうした?契約破棄か?」
「いや。相手が誰であれ、契約には従ってもらう。…ただ、惜しい」
「惜しいとは、この男の命が、か?」
「そうだ。本来ならもうその命は私の手にあるべきものだが、死を目の前にしてもより強く生きようとする力に手が出せんのだ。この私がな」
「じゃあやっぱ、湿地の魔女初の契約破棄か?」
「それは無いと言った筈だ。…これからギィを迎えにいく」
いつもクールな魔女の表情に陰りが見えた。
エゼルは普段の人をからかうような口調から、心持ち穏やかなものに変えた。
「まぁ、気分のいい仕事じゃねぇよな。いいぜ、俺も見届けるよ。その後、一杯付き合うぜ」
「あぁ」
湿地の魔女は手にしたグラスを一気に呷ると、闇に紛れてその姿を消した。
ひとり残ったエゼルは空になったグラスを見つめ、呟いた。
「人の欲を叶えるのだから当然の報酬、と言い切っていた魔女にまで躊躇させる男か。
時間さえあれば、俺もゆっくり語らってみたかったね」
*
ガリークランと共に過ごす事になったギィは仲間とも溶け込めるようになり、仲間もギィの迫り来る寿命について考えないようにしていた。 それ程にギィは通常通りの生活を過ごしていたからである。
ある日、依頼の帰りにルピ山を通り抜けようとしていたガリークラン一行は、山頂の付近で休憩をしていた。
フリメルダは次の行程の相談をする為に話し掛けようと、ルッソやシドが休憩しているところへ近付いた。
するといつもの変わらぬ調子で後からギィもやってきたので、ニコリと微笑んだフリメルダが声掛けた。
「ギィさんも一緒に休憩しますか?ちょうど次に行く町の事でシドと相談しようと思ってたんです」
「そうか。俺も彼に用事がある。あなたにも一緒に聞いてもらおう」
「…?わかりました。ではそうしましょう」
シドがこちらにくる二人に気が付いたようで、木陰の席を空けた。
そしてちょうど二人が座ったところで、シドが水が入った水筒を渡してくれた。
「あ、どうぞお構いなく…。そうだ、ギィさん用事とは?」
「そうだな。突然だが迎えが来たので、そろそろお暇させていただこうと思ってな」
「………え?」
意味が分からないといった顔のフリメルダを見て、ギィは少し離れた木の影をその指で差した。
皆がそちらを見やると、木を背もたれ替わりにしてこちらを見ているのは湿地の魔女、その人だ。
「ギィさん…!!あの人は…」
「とうとう俺にも寿命が来たようだな」
「そんな!ギィさんはまだこんなに元気じゃないですか!」
「自分でも分かる。近いうちに俺の身体は持たなくなるだろう、とな」
湿地の魔女の登場の意味を理解したらしいと分かると、彼女はゆっくりとこちらへやってきた。
「…死神登場で悪いね」
「そう言うな。ここまで長く生きていられたのも貴女の恩恵だ。違うか?」
「あたしごときの魔力では、あんたの生きようとする力に適わなかったのさ。…だがもうここまでだよ」
「分かっている」
魔女との会話の後、ギィが振り返るとフリメルダの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「…フリメルダ」
「分かってます。ここで私が悲しめば、ギィさんが辛くなることくらい」
ギィとフリメルダの顔を交互に見渡したルッソは、湿地の魔女に駆け寄ってしがみついた。
「あ、あの!ギィさんの事、なんとかならないの?もうギィさんはガリークランのみんなとも馴染んでて、仲間なんだ。助けてあげられないかな!?」
「ルッソ。優しい子だね、おまえは。でもね、大人の世界にはルールってもんがある。ギィは分かってあたしと契約したんだよ?それは守られなければならない」
湿地の魔女はルッソの頭を撫でて、その耳に囁いた。
「おまえがギィを大切に思ったのなら、その生き様もグリモアの一節に加えておやり。生きた証が残れば、それを後に活かす事もできる。ギィもそれで満足さ」
「………うん。分かった」
ギィとフリメルダを二人だけにしてあげようと、周りの仲間は少し離れたところから見守った。
「フリメルダ。以前はあなたとこうして再び会話ができる日が来るとは思わなかった。
こんな俺に良くしてくれて…有難う」
「ギィさん。私はお別れだとは思ってません。ギィさんが残してくれた想いとこの命をギィさんと共にいると思って生きていきます。どうか…見守っていて下さい」
後は言葉にはならず、長い間二人は抱きしめ合った。
フリメルダが落ち着いた後、ギィは挨拶をする為にシドの側へやってきた。
「世話になった」
「おう、達者でな」
短いやり取りだったが、それでよかったのだろう。
それまでに十分、彼等は交流を通して互いに分かりあえてきたのだから。
いつも仲間を送りだすときと同じ笑顔のシド。
少し俯きがちで、唇を噛み締めて涙を堪えるルッソ。
変わらず勝ち気な表情だがその手は拳が強く握られていたアデル。
他の仲間達もギィの姿を忘れぬようにとしっかり見据えてその後ろ姿を見送った。
ガリークランが進むのは山裾。ギィと魔女が進むのは先程までいた山頂。 フリメルダはギィの姿が山頂から見えなくなるまで、じっと見守っていた。 そして見えなくなってもその場から離れられないフリメルダに仲間達が駆け寄り、皆が彼女を抱きしめた。
*
ギィと魔女は無言で山道を進んでいた。
前方で白衣の旅人の姿が見えたが、二人共とくに気に留めず足を進めていた。
旅人の前を通り過ぎようとすると、相手の方から声が掛かった。
「…待て」
「何か用か?」
流石に声を掛けられて無視する訳にはいかなくなったのか、二人は立ち止まり、ギィが返事をした。
「もう俺とは関わりたくないだろうが、これで最後だ。頼みを聞いて欲しい」
そう言って二人の前に立ちはだかったのは、こちらもフリメルダとは縁が深いルク・サーダルクだった。
「湿地の魔女よ、もし可能ならば…」
「ギィが死ぬ替わりに自分の命を使いたい、などと言うんじゃないよ」
「無理なのか?」
魔女は両手を上げてやれやれというジャスチャーをした。
「無茶お言いでないよ。そこまで人の命をどうこうできないって言わなかったかい?
できる、できないじゃない。あたしをホンモノの死神にしないでおくれ」
ルクはギィの方に向かいあって、その両肩を掴んで揺さぶった。
「フリメルダは今、お前を必要としている。お前だってそうなんだろ?
ずっと側で居てやりたいとは思わないのか!?」
「…仮にそうだったとしよう。そしてもし、俺を生かす為にお前が命を落としたと知ったら…彼女は深い悲しみに陥る筈だ。俺はそうはさせたくない」
「…そ、それは!!」
「本当に彼女の側に居てやりたいと思っているのは、お前自身ではないのか?
お前が出来ることは死ぬ事ではない。違うか、ルク・サーダルク!」
ルクは虚ろな表情で両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。 ギィと魔女はそれ以上ルクに声を掛ける事もなく、再び山道を歩き続けた。
それぞれの想いを乗せて、ルピ山に暖かな春風が吹き抜けていった。
そこに生きる者の意志に関わらず、ユトランドの四季は過ぎていく一一一。
続き
(09.5.18)