イルーアとはそれからも何度か仕事をしたり、アジトで鉢合わせたりしたが、必要最低限の会話ぐらいしかしなかった。何より、イルーアの方から目を合わせてくれる事がなかった。
やっぱ俺じゃ役不足だったンだな、と思い、上に交渉してイルーアの為にも相方を交替させるよう願い出るつもりだった。
一一一あるときまでは。
俺はいつものようにアジトへ戻ると、身体を休めようと部屋の一室に向かった。 部屋の扉を開いてみてホっとする。イルーアが居なかったからだ。今、あいつに会っても掛ける言葉が見つからない。 あいつが身に纏う、見えない大きな壁にプレッシャーを感じて、俺は側に近寄ることさえできなかった。
部屋に入った俺はそのまま長椅子にゴロンと転がって疲れた身体を休めようとした。 が、そのときふいに見慣れないモノが目に入ったンだ。 寝転がった俺の目線と同じ高さのキャビネットの上に、見た事が無い大きな紋章をあしらった分厚い本が置いてあった。誰かの私物だろうか。
俺は身体を起こすと、暇潰しにその本を手に取ってみた。パラパラと何気なくページを捲ってみると、スグに「やべぇ…!」と思った。その本の内容は、どうやらイルーアの日記のようだったンだ。
本来ならば他人の日記と分かった地点で本を閉じるべきだったンだろうが、どうしてもその本自体から滲み出るような魅力に引き付けられて、本の文字から目が離せなかった。何らかの魔力を秘めた本だったンだろうか。
俺は周りを見回し誰も見ていないのをいい事に、そいつを読み始めちまったンだ…。
*
それから数日後、アジトで寛いでいると、やたら部屋の外が騒がしいなと思い、扉を開いて階下の様子を窺った。 見れば、玄関ロビーに部下数人が集まって揉め事を起こしているようだった。中心にはイルーアが居て、部下のグリア族の少女が一方的に責められているようで、少女は羽根を縮こませてしょげ返っていた。
まぁ、理由はどうあれ中立的立場として間に入ってやらなくきゃならねぇだろうなと思い、傷む胃を押さえつつ階下に降りていった。
どちらにせよ、イルーアとはゆっくり話し合う時間が欲しいと思っていたところだ。
「イルーア。その辺にしておいてやったらどうだ?」
「何の用?シド。部外者は関わらないで」
「そうはいくまい。ここの者はおまえの部下でもあり、俺の部下でもあるんだから」
「組織の為に役に立たない駒は早い内に排除すべきだわ」
イルーアの『排除』という言葉に、グリア族の少女がビクリと身を震わす。
どうやらイルーアとの任務でポカやっちまったようだな。
「おまえだって任務に慣れない頃があっただろ?今度はそういう後輩を育てていくのが俺達の役目じゃねぇのか?今ここで切り捨てるのはどうかと思うがな」
「甘いのね、シド。悪いけど、ここは学校や一般の会社とはワケが違うのよ。ひとつのミスが組織に重大な影響を及ぼす…。それの尻拭いをさせられるのは御免よ」
「分かった、分かった。何かあれば俺のせいにしていいから、ここは俺に免じて機嫌を直してくれ」
そう言うと、イルーアは秀麗な眉を潜めて先程まで俺の居た部屋に入っていった。
俺はずっと俯きっぱなしだったグリア族の少女の頭を撫でて言った。
「イルーアには俺からよく言っておいてやるよ。
だが忘れるな、この俺とて命令があればおまえさんを処分しなきゃならねぇ。自分には無理があると感じたら、身の振り方を考えた方がいい」
「…はい。次からは気を付けます」
涙目のグリアは俺に頭を下げて去っていった。
…なんとなく、アイツはカミュジャには向いてないと思うがなぁ。
それはそうと、今日はもうイルーアも任務は無いだろう。あの日記を読んでから、あいつの事が気になって仕方がない。
俺はイルーアと話し合うべく部屋に向かった。返答は分かっていたが、一応礼儀としてノックをする。
「イルーア、俺だ」
「入ってこないで」
「そういうな。入るぞ」
本来ならば女相手だし遠慮するところだが、俺はときには相手の領域に無理矢理にでもこじ入る必要があると思う。そいつが今だ。
室内に入るとイルーアはベッドの上に座り、こちらに背を向けて窓の外を眺めていた。
俺は側の長椅子によっこいしょ、と腰を掛けた。
「なぁ、イルーア。ちょっと話そうか」
「出ていって」
「話たくなけりゃ、そのまま聞いててくれればいいや」
イルーアならば本当に居られると嫌なら、俺を無理矢理追い出す方法もある。
自分で言うのもなんだが、それを実行しないのは俺はそれなりにイルーアに受け入れられている筈だ。
…と、自分のいいように受け取っておく。
「イルーアさっきの話だけどな…」
「あなたは甘いわ」
「それは置いておいてだな。そこまで頑ななのはおまえが以前自分のミスで取り返しのつかないことにあった。…違うか?」
「何の事?」
「自分に力が無い為、自分が認められず誰からも必要とされず、なにもかも無くした。
二度目がある、なんておまえにはそのチャンスすらなかった。
だから先程もミスをした相手に怒っていたし、今も必要以上に力を求めてるンだろ?」
「…あなた、私の何を知っているの?」
それまで俺を無視しようとしていたイルーアがこちらに向き直り、俺はその揺れる瞳を正面から見据えた。
「悪ィとは思ったんだが、この前おまえが忘れていった日記に目を通しちまった」
「………日記?あなた…まさか私のグリモアを見たの?」
「グリモア?あの派手な紋章のついた厚い本の事だ」
一一一…パンッ!
乾いた音がしたかと思うと、イルーアの手にした拳銃から煙が出ているのに気付いた。
すぐに俺の右頬から血が一筋ツツ、と垂れる。
「お、落ち着け、イルーア。怒るとは思ったけどよ!」
「あなたって最低だわ」
「そりゃ、誰だって日記を見られれば怒るさ」
「よりにもよってグリモアを…。あそこには私の全てが……」
「イルーア?」
「…やっぱり殺すわ」
一一一…パン!パンッ!
立て続けにイルーアは発砲したが、そのどれもが『俺』という的を外した。
当然、こんなデカイ的を外す程、イルーアが下手な訳がなかった。
「…どうした?殺すンじゃなかったのか?」
「どうして?あなたに私の何が分かるの?何が出来るって言うのよ!」
「俺はおまえじゃないから、どんなに辛い目に遭っていようが分かってやれねぇ。
でも話を聞いたり、宥めたりすることならできる。
ひとりじゃ抱えきれないような事があるから、人はひとりじゃ居られねぇンだよ。
そうならなくていいように、周りに人がいるンだろ?
少なくとも、俺はおまえをこうして気に掛けてる。それじゃ、駄目か?」
イルーアは黙って俯いている。今迄の事を思い出すとその心の紐を解くのは難しいのだろう。
いや、難しいというより、どうすればいいのか戸惑っているというべきか。
「私は…誰も信用できないのよ。ひとりでしか生きていけない」
「だったら俺を信用できる最初のひとりにしてくれればいいや。俺はおまえを裏切らない」
イルーアは最初にこの部屋に入ってきたときのように、俺に背を向け窓の外を見遣った。
だが窓に映るイルーアの瞳はどこか遠いところを見ているようだった。
「シド、出ていって」
「あぁ、分かった。俺の言ったコト、忘れないでくれよ」
俺はイルーアのどことなく寂しげな背を眺めつつ、そっと部屋を出た。
自分勝手で非情。その裏での孤独と渇望。
そんなイルーアの姿に俺のおせっかい心がくすぐられたンだろうな。
イルーアは俺すら気付かぬ内に、目の離せない存在となっていたようだ。
続き
(08.4.5)