「この辺りのハズなんだけど」
車が激しく行き交う道路の片隅で、ひとりの少女が紙切れ片手に小首を捻っていた。
立ち止まると派手にクラクションを鳴らされる。
「ちょっと姉ちゃん! そんなところで立ち止まるなよ!!」
「あ! ハ、ハイすいませんっ!」
少女は慌ててその場を飛び退く。
初めて体験する都会の喧騒。
生まれてからずっと田舎暮らしだった彼女は、
此の度、この都市にある専門学校に入学することになり、
実家から遠く離れたこの都市で一人暮らしをすることになったのだ。
「はぁ〜。どうしてこんなに道がたくさんあるの?
奮発してタクシーに乗った方が良かったかな…。
でもこれからの生活費を切り詰めていかなきゃならないし」
「………迷子かい?」
ブツブツ独り言を言っているとふいに言葉を掛けられ、 少女はビクリと肩を竦ませた。 考え事をしていて人が真後ろに来るまで気が付かなかった。 いや、その人が気付かせなかったというべきか。
目の前の人は肩までの長い金髪にがっしりとした体格のいい男性だった。
見た目、歳は30代後半くらいだろうか。もう少し若いのかも知れない。
額から耳にかけて鋭い刃物で切ったような傷跡がある。
それを見た途端、少女は悟った。
(ヤ、ヤクザだ、この人…!!
どうしよう。どう見てもお登りさんな私を誘拐するつもり!?)
少女の背筋に悪寒が走る…!!
「わ、私お金持ってませんっ!!」
そう言い捨て、振り向きざまダッシュしようとした少女の肩がグっと掴まれる。
(こ、殺されるっ!!)
覚悟して目をぎゅっと瞑った少女に男は和やかに話し掛けた。
「道に迷って困っていたんだろう? アルケイディスは街並が複雑だからね。
私で良ければ行き先まで案内するよ?」
予想外の落ち着いた雰囲気の声に少女は男性を見やった。
その服装はTVドラマで見るような派手なスーツではなく、
ハーフパンツにチョコボがプリントされたTシャツというラフな格好だった。
手した買い物袋には今日の夕飯だろうか。
ネギや牛乳パックの姿が見える。
(勘違い…かな?いやいやあれで気を緩めようとする作戦かもしれない)
「と、取りあえず近くまで案内してもらえますか?」
どちらにしてもこのままでは入居先まで辿り着けそうにない。
彼はお安い御用だ、と言い少女の持つ地図を手に取った。
「…パンネロ、か。可愛い名前だな」
「え!?どうして名前を?」
「この入居先案内書に『パンネロ様へ』と書いてあった。
…勝手に見てはいけなかったかな? すまない」
「い、いえ。いいんです」
あ、宛名…。
見知らぬ人にホイホイと見せた自分の落ち度だ。
(こんなんじゃ、何時誰かに騙されてもおかしくないな)
がっくりと肩を落として歩く私を尻目に彼はおや、と眉を顰めた。
「この住所は…?」
「…?どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。では行こうか。
そうだ、一方的に名を知っているのは失礼だな。
私はバッシュ。これからも宜しくな」
「あ、ハイ」
パンネロは優しく微笑む彼の笑顔と深い青の瞳を見ながら、 この人はたぶん、本当に善人なんだろうな、と思った。
*
入居先の周辺でバッシュはあのスーパーは夕方5時から安売りするとか、
ここの店の定食は安くて旨いなどパンネロに教えていた。
自分も荷物があるにも関わらず、彼女の荷物も持ってくれていた。
「また今度、一緒に行ってみよう」
次、会えるかどうかも分からない行きずりだというのに、
彼は「また」という。
この辺りに住んでいるのか、
もしくは知らない人間ばかりで不安になっているパンネロに気を遣っているのか。
どちらにしても、彼の言葉にパンネロは心が暖かくなった。
「有難うございます、バッシュさん。もうこの辺りで大丈夫ですから」
目的地の建物はもう視界に入っている。
お礼を言い彼と別れようとしたのだが、うむ、といいつつ着いてくる。
「あ、あのバッシュさん。本当に…」
「いや、他意は無い。私の自宅もこちらなのだ」
どうやら本当にご近所さんらしい。
なるほど、「また今度」会うことがあるかも知れない。
少し嬉しくなったパンネロはバッシュと並んで歩いた。
「今日の夕飯、何なんですか?」
バッシュの買い物袋を覗いたパンネロは少し彼の生活に興味を持った。
「今夜はお好み焼きだよ。弟が遅くに帰ってくるからね。
いつも冷めても美味しく食べられるものか、すぐ暖め直せるものを作ってるんだ」
「私はお好み焼きよりもんじゃ焼きの方が好きです」
「では今度、御馳走するとしよう」
「弟さん、いらっしゃるんですか?」
「私に似ず、優秀でね。とても良く働く、優しい男だよ」
そう話す顔はとても誇らしそうで、細いその目をさらに細めている。
パンネロはクスっと微笑み、
「弟想いの、いいお兄さんなんですね」
バッシュと共に声をあげて笑い合った。
結局バッシュに部屋の前まで送って貰ったパンネロは、
深々とおじぎをしてお礼を言った。
「本当に有難うございます。もし良かったら連絡先教えて貰えませんか?」
「何か用事があればインターホンを鳴らしてくれ。
ドアが開いていれば勝手に入ってきてくれて構わないよ」
「…………はい?」
バッシュの返事に目を丸くしたパンネロは思わず聞き返した。
そんな彼女の様子が可愛いらしくて、バッシュはプっと吹き出してしまった。
「黙っていてすまなかったな。私の部屋は君の隣なんだ」
「…えぇ〜っ!?」
「最初に言っただろう?『これからも宜しく』と。今日からはお隣さんだな」
バッシュに握手を求められ、慌ててそれを返す。
そ、そう言えばそんなこと言われた気がする…。
なんて偶然なんだろう。
「初めに言ってくださればよかったのに」
「何となく黙っていた方が面白いかな、と思ってな」
「…もうっ! 結構、悪戯好きでしょ?バッシュさん!
後で改めてご挨拶に行きますね」
*
良かった、お隣さんがいい人で…。
パンネロはバッシュと別れて、初めて自分の部屋に足を踏み入れた。
1LDKの部屋。
必要最低限なものしかない小さな部屋だが、パンネロ一人住むには充分だった。
新しくも無いしオシャレな部屋でも無いけど、学校からも近くて通学が便利だった。
何よりこの辺りの相場と比べても家賃が安い!
これから学校を卒業するまではここでお世話になることになる。
パンネロはこれからの生活に思いを馳せた。
(新しい生活、どんな風になるのかな…)
実家を出る際、幼馴染みのヴァンが心配していた。
向こうではアルケイディアの治安は良く無いと思われている。
慌ただしいけども自分が思っていたより綺麗な場所だし、
生活面でも便利なものばかりだ。
新居もなかなかいいところだし、なによりお隣には素敵な小父さまが住んでるし。
パンネロはバッシュの優しい笑顔を思い出し、クスリと微笑んだ。
(そういえば…。逆隣にも誰か住んでいるハズ)
今日の内に挨拶に行っておかなければ、とパンネロは荷物をガサゴソと漁った。
「え〜と、確かこの辺りに…あった!」
パンネロが手にしたものは何やら和紙に包まれた小さな箱。
表面には『あまい果実』と書いてある。
「コレコレ!我が故郷ダルマスカ名物。やっぱコレよね」
名物『あまい果実』とは、大福の中に餡がたっぷり入っていて、 中心部に甘酸っぱい赤い果実が入っている。 ダルカスカではこの和菓子を進物用に使われることが多い。 取りあえず何か祝い事があればそれを用意しておけば大丈夫という、 田舎特有の習わしで支持され続けるお菓子であった。
パンネロはそれを持ってさっそくお隣へ挨拶に行った。
ピンッポ〜ン!と勢いよくインターホンを押し、相手が出るのを待つ。
「……? 留守なのかな?」
暫くしても反応が無かった為、もう一度ポチっと押してみる。
ピンッポ〜ン!
すると勢いよくバンッ!と扉が開かれ、
「うるせぇ! いい加減にしやが…れ?」
いきなり怒鳴られて、ぽかん、としたパンネロを前に男は眉を寄せた。
「あ、あの…私」
「あ〜、悪かった。新聞か何かの勧誘かと思ったんだ。
もしくは突き当たりの部屋のおせっかいなオッサンか」
男は鼻を掻いてバツの悪い顔をした。
突き当たりの部屋のオッサン。
部屋の位置からしてバッシュの事を言っているのだろう。
「いえ、いいんです。ちょっとビックリしましたけど。
私、お隣に引っ越してきたパンネロといいます。どうぞ、宜しく」
男はパンネロを一瞬上から下まで眺めた後、
「バルフレアだ」
と短く挨拶した。
彼は20代そこそこの青年だろうが、パンネロの知るどんな男よりも美しかった。
男に美しいは失礼かもしれないが、『美しい』がぴったり当てはまる青年だった。
適度に筋肉の付いたしなやかな肢体、短く切った茶髪に続く細い首。
脚の形の良さがはっきり分かるレザーパンツを履いていた。
(すごくキレイな人。 モデルさんかなぁ…やっぱり都会の人は違うわ)
ドキドキしながら彼を見つめていると、彼は居心地が悪くなったらしく
「なにも無いが…茶でも飲んでいくか? お嬢ちゃん」
「い、いえ。お気遣いなく!」
取り留めも無く話していると、彼越しに誰かがいるのが分かった。
チラっと見ただけで分かった。
背が高く髪の長い、日に焼けた肌が美しい大人の女性。
「すいませんっ!突然お邪魔しちゃって…。
これ、2人で食べて下さいっ。失礼します、ごゆっくりっ!!」
無理矢理『あまい果実』をバルフレアの手に押し付け、
バタバタと逃げるようにパンネロは自分の部屋に駆け込んでいった。
そんなパンネロの様子を呆気に取られて見ていたバルフレアは、
形のいい眉を片方上げて振り返る。
「………ごゆっくり?」
「フフ。なんだか誤解されちゃったみたいね」
バルフレアの部屋に居た女性は玄関までやってきて、
パンネロが消えた方をチラリと見遣った。
「彼女、可愛いじゃない? 気に入ったんじゃないの?」
「冗談だろ、フラン。 相手はまだ子供だぜ?」
「まんざらでもないんでしょ? アナタ、顔に出るのよ」
「ま、これから面白くなりそうだけどな」
バルフレアは口の端を上げてニタリ、と笑った。
*
部屋に戻ったパンネロは入るなりペタンと座り込んでしまった。
小さな胸はまだドキドキと早鐘を打っている。
(も、ものすごい美男美女のカップルだったわ…!)
パンネロはファッション雑誌から飛び出したかのような、
2人の容姿を思い出す。
隣の部屋にはまだ2人が一緒にいる。
若い男女が同じ部屋で過ごしているということは…。
パンネロは一瞬淫らな想像をしそうになり、慌てて首を左右に振る。
「…なんとなく壁から離れたところに寝るようにしよっと!
別に変な意味は無いのよ、うん!!」
パンネロは自分に言い聞かせるかのように独り言を言った。
気を取り直して、自分の荷物を解いていく。
「…そういえばバッシュさんトコにも後で行くって言ったんだっけ。
お菓子も傷んじゃうし、今日の内に行っておこうっと!」
優しい彼と話すのなら、先程みたいに緊張することも無いだろう。
パンネロはお菓子を手にカチャリと自室の扉を開ける。
先程のカップルと顔を合わせずらかったので、
そちらの扉が閉っているのを確認してから部屋を出た。
踊り場の所に目的のバッシュの姿が見えた。
先程のラフな格好と違い、かっちりとしたスーツを着込んでいた。
「バッシュさん、外出してたんですね! お帰りなさい」
彼はいきなり話し掛けられて少し驚いていたが、
すぐに眉を顰めて怪訝な顔をした。
(あれ…? 機嫌悪い。怒らせるようなことしたかな…?)
「何か用か?」
「あ、はい。先程はお世話になりました。これからも…宜しくお願いします」
おずおずとお菓子を差しだすパンネロ。
受け取ったバッシュはそのまま部屋に入って行こうとする。
バッシュの態度を見てきっと疲れているんだろうと思い、
自室へ戻ろうとしたパンネロの後姿に一言。
「おい…。これ、有難う」
お菓子を手に翳していう彼にパンネロはぺこりとおじぎをして部屋に戻った。
どうも妙な気分がしたが、自分も引っ越しで相当疲れていたのだろう。
片付けもそこそこにサっとシャワーを浴びた後、身体を休めることにした。
ごそごそと布団に潜り込んでふと考える。
(両隣とも男性かぁ…。どちらも悪い人じゃなさそうだけど)
優しいと思っていたバッシュも今の別人のような雰囲気に戸惑っていた。
なんだか不安になってきたパンネロは、早く寝てしまおうと頭から布団を被った。
続き