グラスの町はよく晴れていて、太陽の光が水面に反射し、キラキラと輝いていた。
港から数分の所にあるパブには、出航の日を祝う人々や、仕事前に一杯やりにくるグラス海運のメンバーの姿も見かけた。まだ日も高いうちから、パブの店内は多くの人で賑わっていた。
賞金稼ぎバウエン一家も数日間この町に滞在しており、ちょうど一仕事終えたばかりで、お気に入りの港のパブで仕事の後の一杯を楽しんでいた。テーブル席で酒を酌み交わすのは、バウエンとツィーゲルの二人だ。
「おいツィーゲル、ローアはどこいった?」
「ちょっと足りない物があるとかで、ショップに行って来るそうだ」
「なんだ、せっかくここのケルブ羊のミルクを飲ませてやろうと思ってたのに」
「なんだそれは。旨いのか?」
「いや。噂ではチチが大きくなるそうだ」
ツィーゲルは丁度そのとき飲んでいた酒をぶはっと吐き出してしまった。
「バウエン!あまり本人の前でその話題をだすな!アレでも気にしてるんだからな」
「だから心配して効きそうなモノを探してやったんじゃないか」
「そもそも小さいんじゃなくてアレで普通なんだよ、グリアってやつは!」
「それにしても買い物なら、さっき俺達と居たときに一緒に買えば良かったじゃないか」
「バカだな、バウエン。女の子だとヤローと一緒じゃ買いにくいものもあるだろ?
今迄だったらフリーゼが一緒だったから…」
言いかけてハッと口元を押さえたツィーゲルは、すぐに頭を垂れた。
「…!!すまん、バウエン」
「いや…」
とあるエンゲージで命を落としてしまったバウエンの妻、フリーゼの話題は暗黙の了解で口に出さないようにしていた。皆、彼女が居なくなった事実をまだ受け入れきれていないのだ。
いたたまれない空気の中、バウエンがふと店の奥に目をやると、背格好や髪の長さと色が自分の知っているフリーゼその人の姿が見えた。
「…っ!!フリーゼ!?」
勢いでイスを倒してしまい、さらには大声で叫んだこともあって、店内の人々は皆、バウエンの方を振り返った。フリーゼと思わしき女性も振り返っていたが、顔の作りは似ていても瞳の色が違う。明らかに別人だった。
「…いや、みんなすまねぇ。人違いだ」
皆、さして気に止めなかったようで、すぐにいつもの喧騒が戻ってきた。バウエンとツィーゲルの席以外は。
「駄目だな。そうとう参っちまってるみてぇだ…」
「…バウエン」
「俺がこんなことじゃダメだな。お前達の先頭に立っていかなきゃならねぇ立場だってのに」
「バウエン、俺もお互い様だ。本来ならお前を支える補佐の立場にありながら、現実から逃げていたんだ」
「フフン。ちゃんと話し合う時間を作るべきだったな。今日はじっくり腹を据えて話そうか」
バウエンは自分達の空になったグラスを見て、側に居たウェイトレスに追加注文をした。そのウェイトレスは先程のフリーゼ似の女性だった。
「こいつと同じものを頼む」
「はい!ご注文、ありがとうございますっ!」
ウェイトレスはにっこりと微笑むと、軽い足取りで厨房へと入っていった。バウエンが横目でその姿を追う。その様子をツィーゲルは好ましそうに見ていた。
「なかなか可愛いひとじゃないか?」
「あぁ?」
「ちょっと声掛けてみたらどうだ?」
「…おいおい、ツィーゲルさんよ」
「俺はな、バウエン。お前がこのままでいいとは思っていない。フリーゼの事を忘れろと言っている訳じゃない。お前もまだ若いんだ。俺達に気兼ねせず好きな女の一人や二人、作ったらいいのさ。死んだ女房の事でいつまでも苦しんでるより、幸せになってくれた方が、フリーゼも喜ぶさ」
「おま…一人や二人ってなぁ。それより、女はエンゲージには邪魔だ。仕事に差し支える」
「なにも連れ歩けって言ってる訳じゃない。たまに帰れるところに出迎えてくれるひとがいるっていいもんだぜ?」
そうこうしているうちにウェイトレスが酒の入った二人分のグラスを持って、こちらのテーブルへやってきた。お待たせしました、と言いつつ酒を置いて去っていこうとする女をバウエンが呼び止めた。
「はい、何か?」
「…あー。その、なんだ。これからちょっと俺と出歩かないか?」
「ウフフ、ひょっとして口説いてくれてるんですか?残念ですけど今、お仕事中ですから」
女はコロコロと笑いながら、他の席に注文を取りに行った。そのやり取りを見て、ツィーゲルは呆れ返ってしまった。
「バウエン、お前バカだろ。他に言い方なかったのか?」
「うるせぇよ!俺はこういうのニガ手なんだ。お前とこうして飲んでるほうが気が楽だ!」
「ったく仕方のない奴だな。…なぁ、俺はさ、そう簡単にくたばったりしないからさ。
ずっとバウエン、お前に着いて行くからな。安心してドーンと構えていてくれよ。お前はこの一家の大黒柱なんだからな!」
「あぁ。頼りにしてるぜ!」
ツィーゲルの差し出した拳に、バウエンは己のそれをガツンとぶつけた。お互い新しく持ってこられた酒の入ったグラスを手に取り、乾杯をした。
「「バウエン一家に乾杯!」」
小気味よい音と共に、二人は久し振りに清清しい気持ちで笑いあった。
と、そのとき。ふいに空気が変わったのを感じた。
店の入り口には一人の男が佇んでいた。なにやら異様な雰囲気にバウエンとツィーゲルはそちらを見遣った。
「あの男は、確か…」
男はバウエンの姿を見つけると、他には目もくれずにこちらへやってきた。
「バウエンだな…?少し時間を頂きたいんだが」
「あぁ。まあ、そこへ掛けなよ」
バウエンは目で側の椅子を示すと、男はゆっくりとした動作で腰掛けた。
「アンタ、確かルク・サーダルクだろ?美人の相棒はどうした?」
「バウエン、アンタもか!?何故、どいつもこいつもフリメルダなんだ!俺の事よりもまずアイツの事なのか!?」
「………何を怒ってるんだ。ただ、どうしたって聞いただけだろ?」
「…いや。すまない。ちょっと気が立ってたんだ」
「何があったか知らんが、ケンカなら早く仲直りしろよ。どういう理由であれ、男が折れてやるもんだ」
バウエンは頭を抱えてテーブルに突っ伏したルクを見兼ねて、酒でも出してやろうとしたが、ルクがそれを断った。
「バウエン。…あまり聞かれたく無い話かもしれないが、アンタの方こそフリーゼはどうした?
このところ、剣豪フリーゼの話題を聞かなくなったが」
ツィーゲルが慌てて説明しようとしたところをバウエンがそっと制した。別に隠している訳ではなかったので、クレスタとの戦いでフリーゼが死亡してしまった事を述べた。
「すべて俺の指示ミスでフリーゼに深追いさせてしまったんだ」
「惜しい人を亡くしたな。フリーゼにはお悔やみ申し上げる。しかしバウエン、それは本当に指示ミスなのか?」
「どういうことだ?」
「クレスタをフリーゼ一人で追わせたら、ひょっとするとクレスタが彼女を始末してくれるかもしれない…。そう思ったんじゃないのか?」
「…何を言ってるんだ?何故、俺がフリーゼを死なせなきゃいけない!アイツは俺の妻だぞ!?」
思いもしなかったルクの言葉に、バウエンもツィーゲルも自分の耳を疑った。
ルクはそんな二人に言い聞かすように語りだした。
「よく考えてみろ。バウエン、アンタがこの一家のリーダーであるにも関わらず、世間から注目を浴びるのはフリーゼだ。これまでの活躍が派手だったり、見目がよかったり、女だてらに強かったり…。理由はいろいろあるだろうさ。自分をさし置いてフリーゼが剣豪として名を馳せるのを見ていて、何とも思わなかったのか?彼女さえいなければ、と…」
ルクはそれ以上先を言うことができなかった。なぜならバウエンが彼の胸ぐらを掴んで、射殺すような鋭い目で睨み付けていたからだ。
「それ以上フリーゼを愚弄してみろ。だだじゃおかねぇぞ?」
バウエンはツィーゲルも見た事が無い程、激昂していた。ルクはバウエンが本気だと見て、ただただ頷いた。
ルクを手放したバウエンは、彼の瞳から目を離さずに言い放った。
「俺は一家を守って養っていく立場であり、それ以上でも以下でもねぇ。他の連中がどう思おうが関係ねぇ。一家の一員であるフリーゼが皆に慕われるのは俺にとっては誇りだし、なにより自分の妻の活躍を喜びこそすれ、疎ましく思う筈がねぇ」
バウエンとルクは暫く見つめあっていたが、先に視線を外したのはルクのほうだった。
「………そうか。アンタはそうなのか」
「ルク?」
「いや、なんでもない。俺はもう失礼する」
無表情に席を立つルクをバウエンは無言で見つめていた。去り際、少しこちらを振り返ったルクは、自嘲するように言い残した。
「バウエン。アンタとはもう少し早く話しておきたかったな…」
静かに去っていくルクをバウエンとツィーゲルの視線が見送った。そこには、後味の悪い空気だけが残った。
「なんとも感じ悪りィな。おい、ツィーゲル。ローアが戻ってきたらこの町を出るぞ」
「そうだな。バウエン、あのルクという男…」
「あぁ。目が普通じゃなかった。…もし剣聖のお嬢さんを見かけたら、相方には気をつけろって声掛けておけ」
その後、バウエン達が剣聖フリメルダに助言する機会は無かった。
なぜなら、彼女はもうすでに人の姿をしていなかったから。
(08.1.4)