記憶の片隅


『人は忘却から抜け出すことはできない。
大切なのは、誰かの心に己の生き様を残していけるか、だ』

丁度、砂漠の砂の粒が光に反射して美しい紅に染まる夕暮れ。 その光景はいつもとは違い砂は多数の人間の足跡で乱れ、その中には明らかに人外と思われるものもあった。

クシリ砂漠では今、行商の為移動中だったキャラバン隊がモンスターに襲われていた。 熱砂の砂丘は遺跡郡が数多くあり、ちょうどそこで休憩する行商人達の姿が多く見られ、それを襲う強盗団や彼等の荷の中の食糧を狙ったモンスターが増えていた。
これに伴い、砂漠を行く者は大概護衛を付けるのだが、今回訪れたキャラバン隊はクシリ砂漠での移動は初めてであったらしく、隊に護身用を武器を持たせていただけだった。 当然、慣れない砂漠のモンスターに一般商人が対抗できる訳がなく、身の程知らずであった自分達に観念していたところ、通り掛かりの召還士が彼等に救いの手を差し伸べた。

ヒュムの数倍の大きさのある昆虫型のモンスターは砂を巧に操り、周りの砂ごとキャラバン隊を自分の巣に取り込もうとしていたのだが、離れた場所から召還魔法で一行的に攻撃され、為す術もなくモンスターはすごすごと退散していった。

岩場や遺跡の影からその様子を見守っていた商人達は、たった一人の女性召還士の凄まじい魔力に手を叩いて歓声を上げた。

「やぁ、有り難い!アンタのおかげで助かったよ!」
「…誰か、怪我をした者は?」
「命に関わるような者はいないよ。…しかし、凄い力だなぁ。有名な魔道士さんかい?」
「私はデュアルホーンの『呪縛』のアリス…。名は覚えずとも良い」
「へぇ。じゃあ、デュアルホーンってクランのヒトに助けて貰った、と覚えておくよ」

アリスが少し気怠げに顔を上げると、夕焼けに紅く染まっていた空は除々に色濃く闇に染まりつつあった。

「これから砂漠はグンと気温が下がってくる筈だ。良かったら俺達の野営地に来ないか? たいしたものは無いが夕飯くらい食っていってくれよ」
「…このミストの感じ。一一一まだ終わっていないようだな」
「え?なんだって?」
「気持ちだけは頂いておく。皆、この場から離れてくれ」
「…まさか、まだモンスターが?アンタも一緒に逃げなくて大丈夫か!?」

商人達の方に少し振り向いたアリスの口元は微笑んでいた。 それを見たキャラバンのリーダーは仲間に振り返って言った。

「…たぶん、俺達がここにいれば邪魔になる。急いで移動しよう」

やむなくアリスを一人を残し、キャラバン隊はその場を後にすることにした。 アリスを気にした商人の一人が彼女の方を振り返ると、丁度『自分自身』をくやらみにしているアリスの姿が目に入った。

「なぁ、あのヒト大丈夫か!?」
「俺達よりよっぽど戦いに慣れた人だ。下手に手出ししない方がいいだろう」

キャラバン隊はアリスの身を案じながらも、その場を離れた。 遺跡と砂に囲まれたそこに残ったのはアリス、だた一人。 アリスは何やらうすら寒い気配を感じ取っていた。今迄の勘からモンスターが近くにいる事は間違いなかった。

「ふむ。奴ら、群れで行動するのをよく見かけるが、今回は一匹か…。だが油断はできん」

その気配でモンスターの種類の見当は付いた。アリスは近づいてくるモンスターに備え、召還魔法の詠唱を始めた。

「………アノ…。ひょ…っとして、私に攻撃しよう…としてます?」
「!!」

アリスはまさか話し掛けられるとは思っていなかったので、驚きで詠唱が途切れてしまった。

「ここは涼しいカラ…。少し休憩させて頂けると…嬉しいのですが」
「驚いたな。ヒトとまともに会話を試みるゾンビが居るとは」
「ゾンビ…ってやっぱり…私の事です…よね?」
「自分がゾンビになっている事に気が付いていないのか? ひょっとすると死してまだ間がないのか?」
「私は自分が…少し身体が不調なだけだと…。私は死んでしまったのでしょうか」

アリスはゾンビに敵意が無い事が分かり、興味が湧いたので詳しく事情を聞いてみることにした。 2人は手近な倒れた石柱に腰掛けて、話し合った。

「私…名はフリメルダ・ロティスと申します」
「フリメルダ!あの剣聖フリメルダか!?ユトランドでも有名な剣の使い手ではないか!」

アリスはユトランド制圧作戦の際に、事前に有能な人間のリストも調べ上げていた。その中の一人に彼女は含まれていた。

「モンスターにでもやられたか? …にしては身体の腐敗はあれど、外傷は無いようだな。…毒殺か? いや、弱きを助けてまわっているのだろう? 何者かに恨まれるような人間ではあるまい」
「私も…自分が殺された覚えが無いんです。あるクランの方に言われるまで、自分がゾンビ化していることにも気付いていなくて…」
「ふむ…」
「ひょっとすると、今もどんどん腐ってきているから、脳から殺された記憶がなくなってしまったのかもしれません」
「どちらにしても、貴女に手を下した相手は貴女がもうすでに死んだと思っているだろうな」

アリスは一度は仕舞い込んでいた杖を取りだし、フリメルダに差し向けた。

「…あ。やはり攻撃を…?」
「同情はするがその姿、元に戻せるとは思えん。人に敵意が無いとしても、その姿を見た他人がそれで納得せんだろう。 残酷かも知れんが、そのうち記憶がなくなり完全にモンスター化する前に屠しておく方が貴女の為だ」
「確かに…。私の意図とは関係なく人を傷付けるような存在にはなりたくありません」
「では、苦しまぬように葬ってやろう」

そう言い詠唱をするアリスに迷いはない。もちろん、それはフリメルダ自身の為を思ってだということは分かっている。
フリメルダは『くらやみ』が掛かったアリスの目をじっと見つめた。 自分に不利な状況に追いやってまで己を高めるその姿を見て、アリスがこれまでに幾度となく厳しい現実を見て、乗り切ってきた人物なのだろうと感じられた。彼女になら分かって貰えるかもしれない。 フリメルダは彼女の術が発動する寸前で、その重い口を開いた。

「…少し、私に止めを刺すのは…待って戴けませんか?」
「なんだ。命乞いなら聞かんぞ」
「私は死ぬ前に愛する人に会っておきたいんです」

アリスはその言葉に思わず詠唱を止めて目を見開いた。

「…今、何と言った?」
「愛する人に会いたいんです。…きっと私を捜して困っている筈です」
「確か、貴女には相棒がいたな。そいつか?」
「そうです。ルク・サーダルク…。彼に会うまでは死ぬ訳にはいかないんです」
「そうか…」

詠唱していたときのアリスの厳格さとは一転して、その表情は和らぎ別の感情が入り込む。 アリスは暫く俯いて考え込んだと思うと『くらやみ』を解除した。それは彼女にとって武装解除と同意だ。

改めてアリスはゾンビのフリメルダと向き合った。 フリメルダのその目は大きく窪み、皮膚は黒ずみ、髪は抜け落ちていた。ユトランドでも指折りの美少女と言われた彼女の面影はそこに無い。 自分の記憶も曖昧だというのに、残ったものは愛する者への記憶のみとは…。 これはある意味、残酷なのではないだろうか。

「無礼は承知で聞くが。その…貴女が想う相手に、その姿を見せられるのか?」
「彼ならこの姿でも私だと分かってくれる筈です。…私を愛している、と言ったのだから」

そう言う彼女の暗く沈んだ瞳には、意志の強さが伺えた。 アリスはそれを聞き、最もあって欲しくないことが頭に浮かんでしまった。

一一一もし、マクイスが彼女と同じ姿で現れたら?

咄嗟に背筋に冷たいものが走り、アリスは慌てて首を横に振った。 あの厳しくも優しい瞳が闇のように窪み、肌が爛れ、頬が無惨に痩ける様など想像したくもなかった。 もし、自分がそんな姿になってしまったらどうだろう。 マクイスがそうなるよりはマシだが、そうなってしまった自分が彼に受け入れて貰える自信がなかった。

「あなたは…強いヒトだな、フリメルダ」
「…私はただ、自分の好きな人に会いたい、自分の欲求を叶えたいだけです」
「それが貴女を動かしているのだろう? 私は相手を想うと自分を抑えに入ってしまう…。 とても貴女のようにはなれない。心底、羨ましいよ」
「あの…まだ私を…?」

フリメルダが言うのは、自分を始末するつもりか、ということ。 だが、アリスはこの健気なゾンビにすっかり魅せられ、彼女の肩を持つ気になっていた。

「どこへでも行くが良い。だが、人の多いところは避けるように」
「…有難う。あの」
「私の名か?知る必要はあるまい。覚えていても忘れてしまうだろう。貴女はあなたの愛する人だけを想って進めばよい」
「それは大丈夫。彼を忘れるなんて事はないわ」
「探すアテはあるのか?人に聞くつもり、などと言う考えは捨てておけよ」
「分かるんです。彼の居そうな場所は…。そのうち会えます、きっと」

そう言って微笑む彼女に、アリスはヒトだったときの彼女の面影を見たような気がした。
フリメルダはゆっくりと立ち上がると、おぼつかない足取りで歩きだした。 その歩みは一歩ずつ想い人のところへ近づいているのだろう。 その背が闇に消えて見えなくなるまで、アリスは見送り続けた。 アリスの目には、自分の想いを秘めて信じた道を前に進む姿がまばゆく映った。 彼女が相手に受け入れられるかどうか、はまた別の話だ。

普段は『くらやみ』で目に見えるだけのもの以外を見ているアリスだからこそ、フリメルダの本質が見抜けたのかも知れない。

「噂に違わぬ、美しきヒトだったな、剣聖…」


(08.7.29)



戻る