物語の終わりに

少しばかり開いた窓から吹き込むそよ風がゆらゆらとカーテンを揺らし、その隙間から柔らかな朝日が差し込む。頬に当たる光に誘われるままに、イルーアはゆっくりと瞼を開いた。

随分と長い間眠っていたような気がする。 気怠い身体を起こそうと身をよじると、何やら重いものが上に乗っている事に気付く。 不思議な文様を象ったレリーフが付いている大きな本。 イルーアはこの本に見覚えがあった。 昨夜はシドが宿直で帰って来なかったので、寝る前に本でも読もうと事前に図書館で借りていたものだ。 だが、肝心の読んだ筈の本の内容がおぼろげで覚えていない。少し冒頭だけでも読み返そうかと表紙に手を掛けようとした時、部屋の扉をコンコンと叩く者がいた。

「よぉ、お目覚めか?イルーア」
「シド、帰っていたの?」
「つい、今さっき帰って来たところだ。けどまた出ていかなきゃならねぇ。おまえはもうちょっと寝てな」
「いいえ。…スグに朝食の用意をするわ」

イルーアはベッドから身を起こして立ち上がろうとしたが、ふらりとよろけて崩れ落ちそうになった。 とっさにシドがその細い身体を支えたが、イルーアはそのまま暫く動けずにいた。

「イルーア。…大丈夫か?」
「えぇ。何故か酷く疲れているの」
「風邪の引き始めじゃないか?どうせ遅くまで本を読ンでいたンだろ? もっと自分を大事にしろよ。まぁこっちは寂しい想いをさせてたから強く言えねぇが」

シドの視線がベッドの上の分厚い本に注がれる。

「何の本だ?面白いのか?」
「よく覚えていないけど…悪くはなかったわよ」
「へぇ。じゃぁ次、読ませて貰おうかな」
「止めた方がいいわ。あなた向きじゃない。そのグリモアは開く方だから」

シドは理解できない話に首を傾げたが、まだ本の内容とシンクロしているのだろうと思い、それ以上問うのをやめた。それきり本の話は終わりとばかりに切り上げ、イルーアはキッチンに立った。その姿にシドは慌てて止めた。

「いい、いい。俺がするから。コーヒー…いや、暖かいミルクティでも作ろう」

シドは戸惑うイルーアの肩を押しダイニングのイスに座らせ、小さめなキッチンに不似合いなその大きな身体を押し込めて、いそいそと2個のティーカップにミルクを注いだ。ゆらゆらと湯気が昇るカップを持って、シドはイルーアと向かい合わせに座った。

「ほい、出来たぞ」
「有難う。いただきます」

イルーアはカップに口を付けると一口飲んで、ふぅと深く息を吐いた。

「なぁ、やっぱり顔色悪いぞ、イルーア。今日はもう何もせず、家でゆっくり休ンでろ」
「でも買い物に行かないと、今夜食べるものが無いわよ?」
「よし!じゃあ今夜は何か精が付くモン食いにいこう!何食いたい?」
「…そうね。あなたの好きな『ベヒーモステーキ』にしましょうか」
「ベヒーモ…?なんだそりゃ。どっかのレストランの新メニューか?」
「フフ。なんでもないわ。夕食、楽しみにしてるわね」

やっと弱々しくもイルーアの笑顔が見られたとあって、シドは内心ホッとした。 ふと時計に目をやると、もう出ていかなければならない時間だ。

「いけね!早く出ないとバスに乗り遅れちまう!」

シドはイスに引っかけていたスーツのジャケットを急いで羽織り、バタバタと玄関へ向かった。 身体に合わせてこちらもサイズのデカい靴をごそごそと履いていると、イルーアがシドの鞄を持ってひょっこり顔を出した。

「シド、マントは羽織らないの?」
「マントォ〜?おいおい、俺は正義のヒーローか?ま、おまえが見たいっつーなら着てやってもいいぞ」

豪快に笑うシドにイルーアもそうだったわね、と頷いた。 シドは鞄を受け取ると、まじまじとイルーアの顔を見つめた。 その大きな両手でイルーアの頬をそっと包み込む。

「…辛い時に側に居てやれなくてすまねぇ。なるべく早く帰ってくるからな」

シドはイルーアの身体を鞄ごと抱きしめた。 イルーアは目を閉じてそのまま身体を委ねて、シドの大きな背にそろそろと両手を回した。

「元気になってくれよ、イルーア。おまえがそンなだとこっちが調子狂うんだ」
「そうね。あなたは私の尻に敷かれている方がお似合いだわ」
「…っ!!おいおい、それも程々にしておいてくれよ」

お互い苦笑した後、そっと触れるだけの口付けを交わした。 イルーアは鞄を押しつけると、上目使いにシドを見上げた。

「ねぇ、シド。…ちゃんと戻って来てくれる?」
「何言ってンだ、当たり前だろ?俺が帰るところはおまえのところだけさ」
「…そう。早く行かないと遅刻するわよ」
「あぁ〜。そうだったな!」

シドは名残惜しそうにイルーアの身体から身を離すと、急いで玄関を飛び出した。 振り向き様、扉が閉まる前に一声掛けた。

「じゃあ、行ってくる!」
「…行ってらっしゃい」

イルーアは扉が閉じてシドの急ぐ足音が遠ざかるまで、暫くその場に感慨深げに留まっていた。


それはどこかの世界の小さなアパートに住む、ごく普通の2人の恋人のお話。


*****
突然パラレルですみません。
結局イルーアが力を求めた理由が、はっきりしませんでしたね。 それまでの自身を変える為に力を手に入れようとしたとも考えられますが、実はルッソと同じようにどこかからユトランドにやってきて、単に大切な人の居る世界に戻りたくて、ヌーキアを呼び出そうが、シドに倒されようが、グリモアの空白を埋め続けたのかもしれません。 いつも冷めた表情のウラで、本の世界で出会ったシドとこっちのシドとの想いとの狭間で葛藤しているイルーアとかキュンとしちゃうのですが、どうでしょう。



(08.2.14)



戻る